段塔森林軌道


森林軌道の元機関手、御領原幸雄氏

 
大垣市のご自宅にて。2004年2月28日撮影   制帽の内側
宮崎県の飯野の森林鉄道で研修し、機関車とともに段塔に帰り、そして、段塔で機関手として昭和36年まで過ごされた方です。

戦後すぐのこと、物資も乏しく、ガソリン機関車に木炭ガス発生装置をつけ、
ガソリンがないときは、木炭ガスで走っていたこと。
それ以前は、自動車の走行部分を利用した動力車もあったこと。
デファレンシャルギアがあるままなので、カーブでは片方が空転していたこと。
営林署が工場を持っていたので、そこで各種車両を調整していたといいます。

貫通のエアブレーキというものはなく、台車に制動手が乗り、手元のロープをひっぱりブレーキをかけていたといいます。
長尺の材を積むときは、台車2台を用いていましたが、あまり長いとカーブが曲がれないと。山にあがるときは、台車の上に台車を2つくらい積んでいたそうな。列車が長いと負荷がかかるため。

全国には、こうした森林軌道はたくさんありましたが、
ネット上では、「廃線探訪」ネタとして散見することが多々あります。
しかし運用当時の資料は乏しく、
この段塔森林軌道の運行当時の写真を見ることができたのは、幸いなことでした。

事業所の関係者が揃って、山へピクニックにと、台車に乗ってる写真があります。レールの小さな2級路線ですし、客車はありません。昭和20〜30年代ころの、ほのぼのとした情景におもいます。

かつて、段塔の谷で映画撮影がおこなわれたそうです。
左幸子らの出演する映画「虹の谷」 1955 新理研作品


本日は、この元機関手さんのご自宅を再び訪問し、
9mmの簡易レイアウトの上を、森林鉄道の運材列車を走らせてきました。

2012/01/03





若き日の御領原さん 宮ノ谷線





人吉市

 

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