関ケ原駅

長浜へ向かう旧路線は、引き込み線のあたりを陣場野へと勾配を登っていた。
東海道線、手前が近江長岡方向。

↑明治24年の地図 (現365号線・深谷ルートの線路であることがわかる)

旧ユニチカ跡地の西側
駅を出発すると急勾配が続く。

歴史資料館側から
駅方向を見る。

関ケ原駅は、明治16年、5月1日開業。東海方面では誕生が最も古い駅である。明治32年に現在の位置に駅舎が移築された。(上の写真はそれ以降の新しい建築物である)

↑ 関ケ原駅東側 このあたりに開業時の駅舎があった

「開業当時の駅は、陣場野からの急勾配を緩和するために現在の駅の東方約百メートルに位置していた。旧ユニチカ工場の門前に通ずる、通称横町道の踏切付近であった。駅前には旅館が並び、人力車が300台もたむろしていた。」
「旅行客は、神戸、大津を汽車、大津、長浜を1日3便の汽船、長浜、関ヶ原を1日3往復の汽車、関ヶ原、大垣は人力車、大垣、四日市は水路の船、四日市、熱田は1日2便の汽船を使うという具合であった。」  (関ケ原町史より)

<関ヶ原、四日市線構想>
三重県令は、四日市からの、中山道鉄道建築資材運搬を考え、明治16年12月、関ヶ原、四日市間に鉄道敷設を請願した。翌年になると、地形上の理由から垂井、四日市間に変更し、実測をした。ところが山麓の急勾配、急河流の横断などで、地形が敷設に適しないためあきらめた。資材陸揚げは半田港へと建議されたが、変わって武豊港が指定され、熱田、武豊間の武豊線が明治19年に開通した。


関ケ原から藤川峠へ

↑ 国頭365号線、伊吹山登山道路入り口あたり

↑ 藤川峠より関ケ原方面を見る。下りの急な勾配である。

↑ 藤川峠の最高地点付近。機関車があえぎながら登ったのではないだろうか。冬場は難関であったことは間違いない。

 

撮影 1999年3月、6月

 

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